「無限の可能性」を信じるんじゃなくて、理解する
おはようございます!
野生の人文学家、チャーリー北川です。
ここ最近、「〇〇で悩んでいる人に必要な変化はこれだ!!」的な記事が続いたのですが、全てに共通するのは「その限界を作っているのは自分の観点の固定である」という点です。
ちょっと前に大ブレイクした映画『ザ・グレイテスト・ショーマン』のセリフにも、
「人間の限界を決めるのは想像力だけである」
とあります。
学校の先生を始めとする教育現場の方、カウンセラーからコーチングの先生まで、人を導く役割を持つ人なら一度は口にしたことがあるかもしれないですね。
「あなたは無限の可能性なのです」という言葉。
この言葉を聞いて、あなたはどんな反応が出ますか?
鼓舞されるようで嬉しい?
そんなこと言ったって…と冷ややかな反応?
ちなみに、私は後者でした!
理由は色々ありますが、根拠のなく根性論でただ熱く叫んでいるだけなイメージがあってですね。
「そんなことを無邪気に信じるなんてバカじゃねーの」と大なり小なり挫折、人間不信を繰り返し、捻くれたチャーリーは思っていたわけです。
ところがどっこい、今は自分がそれを人に伝える側にまわってしまいました笑
何が変化したのか?
「無限の可能性」を理解したからです。
裏を返せば、「無限から有限になるプロセス・仕組み・原因」を理解したからです。
ちょっと話が大きくなりますが、人類が他の生物を圧倒して今ここまで発展しているのには、言語の開発が大きな役割を果たしています。
言語の開発によって可能になったのは何だったのか?
それは、共有です。
特に数学なんかは顕著ですね。
だれもが理解できる客観的な論理と表記記号で、全世界に広がり、たとえ誰かが亡くなっても、その成果を次の世代が引き継いで、共有している者どうしでチームプレーしながら発展させることができる。
「誰もが理解できる論理体系・イメージで共有できること」の力は強い。
具体的な「無限→有限」のプロセス・仕組み・原因は説明しだすと軽く3日はかかるため、ここでは語れません。興味ある人は個別にご連絡ください。
「無限」と「有限」の関係性が理解できるとモノの見方の次元が変わりますよ!
想像してみてください。誰もがお互いを「無限の可能性」で見て、勝手な思い込みでジャッジせず、差別しない、尊厳で満ちた家族、地域、社会、世界。
一見、夢物語に聞こえるかもしれませんが、私はその実現に向かって動いています。
例え私の代で完成しなくても良いんです。共有できる論理体系は完成しているので、後を引き継ぐ人がいれば良い。
願わくば、自分の、相手の可能性を勝手に有限化して傷つけあっている、あらゆる人々に、この論理体系を共有できたらと思います。
とめどない文章になりましたが、今日はこの辺りで!
具体的にどういうことやねん!てのが知りたい方はこちらをどうぞ!