意味付け・価値付けについて
こんばんは!野生の人文学家、チャーリー北川です。
久しぶりの投稿になりますが、前回の投稿からいろんな気付きがありました。
中でも自分としてヒットだったのが、世の中のあらゆる意味付け、価値付けは人為的なものである、ということ。
そもそも意味を見出すのも、価値を感じるのも人間だけなので人為的なものであるのは、ちょっと考えれば当たり前なのです。
当たり前なのですが、そのことが腑に落ちると何とも不思議な気分になるものです。
世の中何もかも、無意味・無価値だよ!と厭世的な見方もできちゃいますし、誰かが勝手に作った意味・価値に縛られない生き方をするんだ!と自由獲得のファンファーレのできちゃいます。
そもそも、マイナスに捉えるかプラスに捉えるか、ネガティブに捉えるかポジティブに捉えるか、そこからすらも自由。
人間はどうしても〇か×かのジャッジを下してしまうものですが、どちらでもない、その間のポジションで生きることが本当の自由かな、と思います。