野生の人文学

思考の壁をぶち破り創造的破壊へ。人文ベンチャー起業家、チャーリー北川のブログ

人生振返録①チャーリー北川、8歳にして人文学・人類学と出会う

こんばんは!
野生の人文学家、チャーリー北川です。

今日は、これまでと趣向を変えて、自分の人生を振り返ってみたいと思います。

ちょっと色々と自分の原点的なものを探ってみようと思いまして。



さて、自分のルーツ的なものを探して人生を振り返ったとき、まず最初に浮かんでくる、1冊の本があります。
上橋菜緒子著『精霊の守り人』

当時小学2年生、8歳だった私の世界の観方・価値観を衝撃的に揺さぶった本です。

精霊の守り人 (新潮文庫)

精霊の守り人 (新潮文庫)

 

 

私は小さい頃から本を読むのが好きで、両親も「本を読むのは良いことだ」と、たくさん本を買ってくれました。

学校の学級文庫でも、図書館でも、たくさんたくさん読みました。

 

何百冊と呼んできた本の中で、なぜこの1冊が私の中で不動の1位をキープし続けるのか?

いい加減、筋書きもセリフも暗記しているのに、大人になった今も年に1回はふと読み返したくなるのか?
理由を探っていきたいと思います!!

 

 

粗筋(本のオビから引用)
”女ながら、腕のたつ用心棒であるバルサは、偶然、新ヨゴ皇国の皇子チャグムの命をすくう。だが、このチャグム皇子は不思議な運命を背負わされた<精霊の守り人>だった。

深い水底に住み、百年に一度、卵を産む精霊<水の守り手>とは何か。
そして夏至祭に隠された秘密とは?

チャグム皇子を追って、ふたつの影が動き始める。”

 

外の世界と出会う・自分の物差しの外と出会う

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物語の主人公、チャグムは皇国の第2皇子。生まれたときから皇子として宮殿の中で何不自由なく、起きて着替えて食べて体を洗うに至るまで、全て他人にお世話され傅かれながら日々を過ごしていました。
それが一変、異端の精霊の卵を宿したことで、皇国の神聖さを汚すものとして実の父親「帝」から命を狙われ、母の手引きで用心棒バルサとともに宮廷の外に出ることになります。

 

  • スラム街の物乞いの家に匿われ、経済格差・生活水準の格差にびっくりしたり。
  • 自分が唯一と思っていた祖国の神話・教義が絶対ではないことに衝撃を受けたり。
  • 政治に関わる多種多様な人たちの立場・主張や政治の裏側に戸惑ったり

 

真綿につつまれた雲上人の人生から、地の底をはいつくばって追手から逃げる逃亡人生へ。

でも、その逃亡生活の中で出会うもの全てが、チャグムのそれまでの価値観を叩き壊して視野を広げていきます。
家族と学校と、せいぜい近所の遊び場が世界の全てだった8歳だった私にとっても、チャグムの衝撃は自分ごとのように感じました。

 

様々な国が、それぞれに祖国の神話を持って、その教えで世の中を見ている。
ある意味、私の最初のグローバル・インターナショナルな感覚はこの本が出発だったのかもしれません笑

 

同時に、自分の物差しが如何に狭いものなのか、それで人を計ることが如何に愚かなことなのかを戒める原点でもあります。

 

運命・上部構造の支配・個の自由意志

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物語のダブル主人公、チャグムとバルサには共通点があります。
それは、どちらも国の超エリート上流の家に生まれながら、国の陰謀権謀に巻き込まれて命を狙われ、余儀なく逃亡人生に転落したこと。
チャグムに至っては、あずかり知らぬところで「精霊の守り人」なんて運命を背負わされて翻弄されます。

 

何故自分だけがこんな理不尽な目に合わなければならないのか?抑えきれない怒りをチャグムがバルサにぶつけるシーン。
私にとっては今でも、はっとするワンシーン、息を呑んで厳かな気持ちでみるワンシーンです。

 

実は、私にもチャグムが持ってるような心の底の怒り、自分を決めつけてくる上部構造に対する反骨心があります。
プロジェクトの仲間たちはそんな私を「スパルタカス(※共和政ローマ期の剣闘士で、「スパルタクスの反乱」と称される第三次奴隷戦争の指導者)」なんて呼んだりするんですが笑


「…刃を研げば、切れ味はよくなる。確実にね。こんなふうに、すべての物事の結果のつじつまが合えば、いいんだけどね。」
「不幸がいくら、幸福がいくらあった。あのときどえらい借金をおれにしちまった。…そんなふうに考えるのはやめようぜ。金勘定するように、過ぎてきた日々を勘定したらむなしいだけだ。おれは、おまえとこうして暮らしてるのが、きらいじゃない。それだけなんだ。」


チャーリー・スパルタカス・北川がnTech・認識技術と出会って気付いたことがひとつ、
結局自分を決めつけていた最上部のラスボスは、実は自らの観点である
ということ。

 

過去の出来事に捉われ、恨みつらみで目のまえの壁から逃げて生きるのか、大自由の心で自分の運命・宿命・使命を見つめ、壁を突破していくのか。

物語の最後、卵を守り切って逃亡人生を終えた後、皇太子としての役割に自らの意思決定で戻っていくチャグムの決断のシーンを読むたび、自分自身にも問いかけが来ます。

 

人文学・人類学との出会い

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多分、人は皆、生まれたら自分の意志なんか関係なく、人間というゲームのフィールドに放り込まれて産声を上げるんです。
どんなゲームなのかは生まれた時代や場所によって異なりますが、意味も分からず課せられるルールに対する反発心を時に爆発させたり、抑えたり、諦めながら生きている。
だけど、一度ゲームの外に出て、なぜそのようなゲームが出来上がったのかを理解すれば、先人たちの涙も感じられるし、過去の文脈も活かしつつ新しい未来を創るゲームの再設計もできるようになる。

 

実は、この本の著者は文化人類学者。

いつも書かれているのは児童文学のカテゴリーなんですが、どの作品も問いが深く、読む人の年齢を問いません。

おまけに、ファンタジーと言いつつ政治権力的な駆け引きや、緊張感あふれるお金勘定の損得も描かれています。
この本との出会いは、単なる児童文学やファンタジーとの出会いではなくて、社会とは?人間とは?人類とは?という問いとの出会いでもあったんでしょう。
そして、人文学、人類学を学ぶということは、今自分たちがどんなゲームの中にいて、それがどんな文脈の中で出来上がってきたのかを学ぶ学問でもあるな~と思います。

 

いや~、それにしても、多感な時期、自我が育ち切っていない8歳という年齢でこの本に出会ったのはデカいですね笑 

今分析すれば色々こうだった、ああだったと言えますが、初めて読んだときはとにかく言葉にならない衝撃でした笑

ただ、その時の衝撃が、今の自分の一つ大きな原点であることは間違いないです。

 

 


さて、人生振返録①はこの辺りにしておきます。

次回は「人生振返録②チャーリー北川、10歳にして日本人アイデンティティを問われる」です。
需要があるかは分からんけど、書いてる本人が楽しいのでしばらくシリーズは続きます!!