個と全、多様性と統一性のハザマで…人類500万年間の歴史
こんばんは!
野生の人文学家、チャーリー北川です。
最近、うお~今めちゃめちゃ人類歴史動いてんな!!
と感じることが多々あります。
もちろん、AIの進化とかゲノム解析とかテクノロジーの進化のスピードや、国際情勢の目まぐるしさもあるんですが、それとは別の、もう1つ大きな枠組みから見た流れです。
これまで、ホモ・サピエンスという社会的動物は言語を開発し、想像力をゲットし、共通の虚構(神話とかお金とか)を土台にすることで他の生物には真似できない規模での集団形成に成功しました。
数は力ですから、圧倒的な集団構成員数をバックに他の生物を圧倒し、今や地球の生態系の頂点にたった人類。
(この辺りは、詳しく知りたかったら『サピエンス全史』をご参照ください。)
神・王を頂点とした古代・中世のヒエラルキー型全体主義社会、そこに対するアンチテーゼとして興ったルネサンス以降の近代個人主義社会。
最初は王様とそれ以外の格差の撤廃から始まり、黒人奴隷の解放から公民権運動、日本で言えば士農工商の撤廃と、とにかく基本的人権というコンセプトの下、あらゆる個人の自由獲得に爆走した近現代。
最近では性的志向の自由やら働き方の自由やら、とにかく多種多様な個人の自由が花開いてますね。
ただ、そこで必ずでてくるのが「全体」と「個人」、「多様性」と「統一性」のバランスの問題です。
One for All, All for Oneが皆きたら良いんですけどね、そんな簡単じゃないのが現実。
テーゼとアンチテーゼの対立が極まったらどうなるのか?
ちょっと哲学や倫理かじった人ならご存知、アウフヘーベン(止揚)ですね!
今まさに、次の時代のセオリーともなるべきこのアウフヘーベンを生み出さんと、各国の知的エリートたちやアカデミック最高峰が頭を捻っり莫大な金を投じているわけです。
でも西洋という枠組みの中のテーゼ・アンチテーゼの中では答えが見つからない…
外の観点を取り入れなければ!!といって答えを求め注目しているのが…??
実は古代の東洋思想なのです!!!
でも東洋のコンセプトってぼんやりしててめちゃめちゃ掴みにくいですからね笑
そこをどう解析して取り入れたら良いのか、西洋も、肝心の東洋側も答えを出しあぐねているのです…
誰がここに答えを出せるのか??
一体古代東洋思想のどこに、西洋は答えの希望を見出したのか??
続きは来週!!!
「無限の可能性」を信じるんじゃなくて、理解する
おはようございます!
野生の人文学家、チャーリー北川です。
ここ最近、「〇〇で悩んでいる人に必要な変化はこれだ!!」的な記事が続いたのですが、全てに共通するのは「その限界を作っているのは自分の観点の固定である」という点です。
ちょっと前に大ブレイクした映画『ザ・グレイテスト・ショーマン』のセリフにも、
「人間の限界を決めるのは想像力だけである」
とあります。
学校の先生を始めとする教育現場の方、カウンセラーからコーチングの先生まで、人を導く役割を持つ人なら一度は口にしたことがあるかもしれないですね。
「あなたは無限の可能性なのです」という言葉。
この言葉を聞いて、あなたはどんな反応が出ますか?
鼓舞されるようで嬉しい?
そんなこと言ったって…と冷ややかな反応?
ちなみに、私は後者でした!
理由は色々ありますが、根拠のなく根性論でただ熱く叫んでいるだけなイメージがあってですね。
「そんなことを無邪気に信じるなんてバカじゃねーの」と大なり小なり挫折、人間不信を繰り返し、捻くれたチャーリーは思っていたわけです。
ところがどっこい、今は自分がそれを人に伝える側にまわってしまいました笑
何が変化したのか?
「無限の可能性」を理解したからです。
裏を返せば、「無限から有限になるプロセス・仕組み・原因」を理解したからです。
ちょっと話が大きくなりますが、人類が他の生物を圧倒して今ここまで発展しているのには、言語の開発が大きな役割を果たしています。
言語の開発によって可能になったのは何だったのか?
それは、共有です。
特に数学なんかは顕著ですね。
だれもが理解できる客観的な論理と表記記号で、全世界に広がり、たとえ誰かが亡くなっても、その成果を次の世代が引き継いで、共有している者どうしでチームプレーしながら発展させることができる。
「誰もが理解できる論理体系・イメージで共有できること」の力は強い。
具体的な「無限→有限」のプロセス・仕組み・原因は説明しだすと軽く3日はかかるため、ここでは語れません。興味ある人は個別にご連絡ください。
「無限」と「有限」の関係性が理解できるとモノの見方の次元が変わりますよ!
想像してみてください。誰もがお互いを「無限の可能性」で見て、勝手な思い込みでジャッジせず、差別しない、尊厳で満ちた家族、地域、社会、世界。
一見、夢物語に聞こえるかもしれませんが、私はその実現に向かって動いています。
例え私の代で完成しなくても良いんです。共有できる論理体系は完成しているので、後を引き継ぐ人がいれば良い。
願わくば、自分の、相手の可能性を勝手に有限化して傷つけあっている、あらゆる人々に、この論理体系を共有できたらと思います。
とめどない文章になりましたが、今日はこの辺りで!
具体的にどういうことやねん!てのが知りたい方はこちらをどうぞ!
価値観の違いを超え、関係性の質をあげていくために必要なこと
こんばんは!野生の人文学家、チャーリー北川です。
今日のテーマはパートナーシップについて。
最近はジェンダーフリー、LGBT等々、恋愛観も様々ですね。
ちなみにですが、私が最近嵌っているドラマはこちら。
こういうのが普通のドラマ枠で出てくるとこに時代を感じます。
恋をするのに男も女も関係ない!
おっさんたちのピュアな恋愛にキュンキュンするので、オススメです。
↑のドラマを見ていて違和感を感じたポイントでもあったのですが、お見合い写真を薦めてくる親戚・近所の世話焼きおばさんも、ちょっとおせっかいな上司も、いまどき存在しないですよね?
さて、放っておいても周りがせっつき世話を焼き、結婚するのが当たり前だった時代はとうに過ぎました。
そんな中、
・出会いがない
・出会いはたくさんあっても、深い関係性にならない
・関係性が長続きしない
・結局我慢してストレスを貯めてしまう
高望みなんかしてない。ありのままの自分でいられる関係性、互いを尊重し合う関係性を作りたいだけなのに、なかなかうまくいかない…
なんて嘆いてらっしゃる方は、男女問わず多いのでは?
個人主義が成熟した現代日本において、出会いが降ってくるなんてことはかなり確立が低い。能動的に出会いたい意志を発信して、足を動かさなければ、「出会い」すらなかなか無いのが現状です。
そして、関係性構築&維持の障害、永年ぶっちぎりの一位が「価値観の相違」。
この違いをすり合わせるため、皆さん様々に努力されてると思います。
が、なかなかうまくいかないものですよね。
・とにかく話し合うことが大事とおもって話し合っても、平行線で終わる
・お互いが自分の主張をぶつけ合うだけで終わってしまう
・思い切って話したのにダメ出しされ、もう話す気にならなくなった
・どうせ何を言っても無駄だと諦める
おまけに、結婚しなくても充分一人で生きていける世の中。
我慢してまで関係性を維持する必要性は薄れています。
「価値観の相違」でポイっと分かれてしまうカップル・夫婦が増えていくのも、自然な流れかもしれません。
実は、「出会い」が必要なのは初期段階だけではないのです。
人は、基本的に自分の期待フィルターを通して相手を見ています。
そのフィルターの外に出ない限りは、
出会っているようで出会っていない。
相手の話を聞いているようで聞いていない。
相手のことを見ているようで見ていない。
60年連れ添った夫婦でも、相手の本音はさっぱりわからない、なんてことありませんか?
自分の無意識のフィルターを意識して、そこから出たところで相手と「出会う」能力。
それが関係性の質をあげていくために必要な能力です。
フィルターの外に出ると、全く今までと違う相手が浮かび上がってくるかもしれません。
また、フィルターの外に出たあなた自身が、それまでのあなたとは違う自分になっていることでしょう。
価値観の違いを乗り越えるたびに人間としても成長できる、新しい関係性の次元へ。
自分がどんなフィルターで相手を見ているのか、嘆く前に見てみてください!!
ダメな自分を変えるとき:100冊の本を買う前に知るべきたった1つのこと
仕事の成果がなかなか出せず、居心地の悪さを感じるとき
・また上司から大量のダメ出しをくらった…
こんな自分、出来ない自分は周りの人から迷惑な奴だと思われているんじゃないか。
不安で縮こまって動きが固くなり、コミュニケーションのハードルが高くなり、ますます出来なくなる。
あるいは、自分はある程度出来る人間だと思っていたのに、昇進や花形部署へ移動した瞬間、周りのレベルに圧倒されてしまって凹んでしまった…なんてこともあるかもしれません。
もっと出来る自分になって、周りに認めてもらうぞ!!
とある本で以前読んだのですが、3Mというのを見てなるほどな~と思いました。
モテたい、儲けたい、認められたい!
特に最後。出来る自分になって周りに認めてもらいたい、というのは人類普遍の欲求ですね。
でもちょっと要注意。
これがちょっと表現変え、出来る自分じゃないと、周りに認めてもらえない!になった瞬間、悲劇のストーリーに早変わりします。
実は、永久に終わらないループの中でグルグルしているだけ!?
人がダメな自分から変化をしようとするとき、そこにはパターンがあります。
例えば…
- 本屋さんで、役に立ちそうな自己啓発本、仕事術の本を購入して読む。もしくは周りの成功している人から成功のコツを聞く。
- 書かれていること、聞いたことを自分も実践しようと試みる。
- モチベーションが続かず挫折。他の本ややり方に手を伸ばす。結局期待した変化は起こらず、そんな自分に更にダメ出しする。
もしくは
- 前の自分より出来るようになった!よりハイレベルなところで結果を求められるように。
- こんどは出来ないヤツのことがムカついてくる(自分はできたのに、なんでコイツはできないんだ!)。
- 今度は自分が人をマイナス評価する側に回り、誰も自分についてきてくれない孤独感を抱える。
…お気付きでしょうか?
実は出来ても出来なくても、悩みが終わるわけではないんですね。
自分が評価される側から評価する側に回って新たに抱える悩みもあるでしょう。
出来る/出来ないの間を右往左往する限り、その葛藤は永遠に終わることはありません。
まるで出口のない袋小路のように…!!
そもそも出来る/出来ないという評価は相対的なものです。
周りが自分をどう思っているか?も、「周り」を誰に設定するかで評価は様々なず。
マイナス評価をする人もいれば、プラスに評価してくれる人もいるでしょう。
なぜ、そこまでマイナスの自己評価ばかり気にしてしまうのか?
実は、私たちは幼い時に作った無意識の自己否定からくる強迫観念に固定されているからです。
・どうせ自分は~
・どうせお母さんは~
・どうせ社会は~
…だから〇〇しないと自分は認められないんだ!!
自分の評価をマイナスから設定していれば、いつまでたっても努力はマイナスをゼロにするための苦行でしかありません。
当然、モチベーションも生まれにくい。
しかも私たちは学校の暗記教育の中で、知識を蓄えることで得られる安心感を知っています。
どれだけ知識を蓄えても使えているのは5%程度。完璧に身になる前に次の知識に手を伸ばして、つかの間の安心感をえているだけかもしれません。
過去のイメージから脱却するために、未来の自分をイメージしてそこから今を考える取り組みも良いでしょう。
ただし、不安定な土台の上に無理矢理高級マンションを建てようとしてもうまく行きません。
出発の出来る/出来ないの出発に捉われている限り、どのみち袋小路なんです。
袋小路から出るためには?
もともと私たちの脳はマイナス面を記憶に残す性質があります。
弱肉強食時代にリスクを避けてサバイバルするための生存戦略ですね。
ただ、現代は不安を煽るマーケティングや情報発信があまりにも多い。
なかなかモノが売れない時代ですから、不安を煽って消費させようという動きが盛んです。それに疲れ、消費に疲れ、さらにモノが売れない、というのが今の市場の状況です。
更に、前は村で一番だったらOKだったのに、今や世界中の72億人が比較対象。
満足感を得にくい環境でもあります。
おまけに、日本人は特に自己否定が強い!
そこには歴史的な経緯もありますが、日本人というアイデンティティに誇りが持てない若者は多いんじゃないでしょうか。
袋小路から出るには、まず自分がどんな思い込みの固定で動いているのかを知ること。
人は案外シンプルなパターンで動いています笑。
そのパターンを意識化して認識し、ゼロ化する習慣化をトレーニングすること。
ゼロ化さえできれば、後はどんなやり方、思い方をインストールしても自由自在、摩擦抵抗ゼロで実行できます。
ただ、頭の片隅にきちんと置いておいてください。
出来る/出来ないの評価はあくまで相対的ですし、外から要求されるレベルには限りがありません。
出来る自分じゃないと、周りに認めてもらえない!
では苦行ゲームになりますよ!!
出来る/出来ないの他人からの評価から自由になってしまえば、後は0から積みあがっていくだけ。
出来れば、自分のパターンを周りに共有してください。
自分が中にはまり込んでいるとき、外にでる手伝いをしてくれるでしょう。
そうやって互いに補っていけるのが本当のパートナーシップ、チームプレイを創りたいものですね!!
具体的に、自分のパターンをしるってどういうこと?という方はこちらをご参照ください。
他人軸に左右されない自分の在り方とは?を深めたい方は、こちらが手掛かりになるかもしれません。
人間関係が今よりずっとラクになる☆Dignity2.0セミナー開催!
こんばんは!野生の人文学家、チャーリー北川です。
今日はセミナーのご紹介です。
"大人びて仕事出来そう" に見えて、
実は"人間不信バリバリ・コミュニケーション恐怖症"だった私。
嫌なことを避けて不安を誤魔化すスキルだけ変に高くなっちゃって
ある意味タチが悪かった。
何十回と合コンに行こうが、成果は出ず、会社や友達との飲み会も早く帰りたくて仕方ありませんでした。
そんな私が「人間関係」を仕事にすることになるとは ‼‼
今では、人との出会いと対話の面白さにハマる毎日です ♪♪
どれだけこじれちゃった人も、きちんとその原因&仕組みを理解できるようになれば大丈夫!
・自分に自信が持てない
・やりたいことがわからない
・恋愛がうまくいかない
・仕事で思うような成果が出せない
『人からどう思われるか』が気になって、日々の人間関係を面倒に感じてしまったりしてませんか?
本当は気軽に仲良く、楽しく関係性を築きたいのに…!
いくら愛想を良くしても、話術のHowto本を読み漁っても、認められるように成果を出しても、無駄なんです ‼
なぜなら、根本的な自己認識が変わらないから!!
自分を大切に…とはよく言われますが、
そもそも自分のことをどう認識していますか?
大切にするってどういうことなのか、具体的にイメージができますか?
そんなあなたに役立つキーワードが
『Dignity(尊厳)』
です。
自分のことも相手のことも大事にしながら、出会いに感動できる。
そんな新しい関係性の質のステージを一緒に探っていきましょう♪
情報はインプットするよりゼロ化するほうが難しい
こんにちは!野生の人文学家、チャーリー北川です。
皆さんお仕事でそれぞれ自分の専門知識をお持ちのことと思いますが、専門性が増すほどに外とのコミュニケーションが難しくなる経験ってお持ちじゃないでしょうか?
仕事の知識だけでなく、自分が好きなインディーズバンドのことだったり、小さい頃から持っている哲学的な問いだったり。
突き詰めれば突き詰めるほど、前提知識の差は広がり、他人に説明するのが面倒くさくなりますよね~。
昔は周りの人たちと自分との共通土台になる情報量・内容にそこまで差はありませんでしたが、今や活版印刷&インターネットの発明で莫大な情報知識が氾濫しています。
専門性を深めればどこまでも深められる。
しかもそれがタダ同然で手に入る。
多様性があるのは良いことですが、裏を返せば皆持っている知識がてんでバラバラで共通が取りにくい、ということ。
そしてその流れは今後どんどん加速していく気がします。
そんな中、これから求められる能力は情報をインプットする能力じゃなくて、ゼロ化して相手との共通認識をイチから丁寧に作っていける能力じゃないかな、と思うこの頃です。
仕事で一番分かりやすいのは営業ですかねぇ。
製品・サービスの中身に自信がある人ほど、専門的な解説に嵌ってしまって、ふと我に帰ればお客さんが困り顔をしている、というのはよくある失敗談です。
私自身も最近それをすごく感じてます笑
自分の戒めも含め、このタイトルでちょっと書いてみました。
じゃあゼロ化するにはどうしたら良いのか??
無とは何かを悟り知ること!!
世間のHow Toは何があるのか、こんどリサーチしてみよ~。
私たちはどう生きるか?~成功基準のパラダイムシフト~
お久しぶりです!野生の人文学家、チャーリー北川です。
記事を書くのも久しぶりで、ちょっと緊張気味ですが最近思うことを書きます。
『君たちはどう生きるか』
本屋に行けば目にしない日はない、2017年の大ヒット漫画ですね!
ここ最近、リアルにこれが一人ひとり問われる時代が来るんだ、ということを実感する日々です。
人生100年時代の生き方設計図
思えば、運よくそれなりの成功コース、エリートコースを進んできた私でした。
まず、今の時代の日本に生まれた時点でかなりラッキー。
命の安全に晒されることは滅多にありません。
両親は典型的な昭和成功モデルの体現者。
4大卒で大手企業に就職した父と、専業主婦の母。
ごくごく普通の中流家庭できちんと育ててもらい、お金にも不自由することなく、十分な教育を受けさせてもらいました。
更に、勉強が割と苦労せずできちゃった私。
高校受験も大学受験も卒なくこなし、某大学法学部に現役合格ストレート卒業。
私の就職活動はリーマンショック後の不況時代でしたが、運よくたまたま行った説明会で人事のおっちゃんに気に入られ、あれよあれよと最終面接もパス。
入社後も希少な女性幹部候補として、ある意味保証された会社員コース。
小さい頃から父の転勤で色々連れまわされたお陰で、そこそこ人間関係ならこなせるコミュ力&外面も完備!
仕事OK、給料OK、外面OK。
あとは恋人見つけて賞味期限切れる前に結婚すれば項目コンプリート!!
てな感じの、それなり人生でした。
「生」の価値
それが一変したのが25歳の冬。
まさかの右卵巣癌の宣告を受けました。
結果として外科手術と抗がん剤治療でことなきを得ましたが、お腹を開けて病理検査をするまで、先が見えない暗闇の中。
今後よっぽどのことが無い限り、人生の恐怖体験ベスト1位はこの事件がキープし続けると思います。
自分の体験談でもあるし、人の話を聞いても感じるところですが、
「死」に向き合ったとき、始めて「生」が分かる。
これから人生100年が当たり前になる時代、一瞬一瞬、一日一日の「生」の体感価値はどんどん下がっていきます。
私もそう、「生」きているのは当たり前のことだと思っていました。
今だからこそ必要な日本の「美学」な生き方
もともと、日本は「死」に対する美学が色濃い文化です。
「武士道とは、死ぬことと見つけたり」然り、
「わびさび」然り、散りゆく桜に感じる情緒然り。
華道にしろ茶道にしろ、書道にしろ武道にしろ。
取り戻すことができない一瞬の刹那、その緊張感に「美」がある。
これらに共通するのは、「無」が分かるから「有」の貴さが分かる、ということです。
何故、「どう生きるのか?」の話から「死」の話、「美」の話に行ったかというと、
これからの時代は「美学」の時代だからです。
時代の流れに敏感な経営者や起業家たちは、もう気付いています。
20世紀以来の旧い資本主義の時代の成功基準、有用性と効率性を追い求めた時代は、もうそんなに続かない、というか続けられないでしょう。
AIの登場、消費疲れした消費者。情報が一瞬で拡散されるネットワーク社会。
業務効率化の極致はマニュアル化ですが、マニュアル化したそれらは、端からAIがやるようになっていきます。
機能面の差別性は一瞬で他者に模倣されるようになっていきます。
では次の競争パラダイムは何か?
ジョルジュ・バタイユ(仏)の言葉を借りれば「至高性」、言い換えれば「美」的感覚です。
私たちは普段意識しませんが、実は日本の「美意識」って、ものすごい価値があるんですよ。
これは、実際に海外に出てみて自分が感じることでもあります。
ただ、日本の美意識の神髄を理解するには「無」を理解する必要がある。
私が学んでいる「認識技術」は正に「無」の秘密を理解し、人生に応用活用する技術です。
学び始めてそろそろ3年ほどになるのですが、最近この辺りの研究が面白くてしゃーない笑
「美学」を持って生きる100年
「なんとなく」過ぎていく100年
「死なないから生きる」100年
あなたが生きる100年はどんな100年でしょうか。
昨年、経産省若手が打ち出して話題になった『立ちすくむ国家』。
その中に、60歳半ばで定年した人たちの大半が、その後一日のほとんどをテレビを見て過ごしている、というくだりがあります。
自分がそうなるのを想像するとぞっとしませんか?
『立ちすくむ国家』平成29年5月 経済産業省 次官・若手プロジェクト
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
話に出した認識技術に関しては、今月2つほど場を開催する予定です。
どちらも「認識技術」って何やねん?という方にオススメですので、ご興味あればどうぞ~♪