野生の人文学

思考の壁をぶち破り創造的破壊へ。人文ベンチャー起業家、チャーリー北川のブログ

【開催レポート②】 Science and Nonduality:AI時代 × スピリチュアリティーが生み出す人間の未来

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こんばんは!

野生の人文学家、チャーリー北川です。

 

前回に引き続き、Science and Nonduality(SAND)についてレポートしてまいります。

 

私たちは、自分を、世界をどう観るのか?

これからの時代を牽引していくNondualityという古くて新しい視点。

 

今日は最近ブームのマインドフルネスとの関連も交えて、Nondualityの意味を深めていきたいと思います。

 

うつや統合失調症といった単語を頻繁に耳にするようになり、企業にメンタルヘルス管理が義務付けられるようになった昨今。

  • マインドフルネスはその処方箋となりうるのか?
  • Nondualityはマインドフルネスと一緒なの?違うの?

そんなポイントを探っていきたいと思います!!

 

SANDの概要については、前回の開催レポート①ご参照ください。

www.yaseinojinbun.com

 

最近流行りのマインドフルネスとは?

最近、「マインドフルネス」という瞑想法が注目を集めているのをご存知でしょうか?

もともとは仏教の中で伝統的に使われてきた瞑想法。
それをツールとして切り出し、宗教性を排除した上で、一般の人でも実践できる形にアレンジされたものがマインドフルネスです。

 

集中力のアップや、ストレス削減などの効果が科学的に実証され、ここ数年で急速に広まってきました。
特に、グーグルが自己認識や創造性、人間関係を高める手法として社内研修に積極的に取り入れるようになってから爆発的に知名度が上がり、今やフェイスブック、アップル、ゴールドマンサックス、インテルといった世界的な優良企業で取り入れられています。

サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

  • 作者: チャディー・メン・タン,ダニエル・ゴールマン(序文),一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート,柴田裕之
  • 出版社/メーカー: 英治出版
  • 発売日: 2016/05/17
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日本でも2016年のNHKスペシャル「キラーストレス ~ストレスから脳を守れ 最新科学で迫る対処法~」を皮切りに、テレビや雑誌等でよく紹介されるようになってきていますね。

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ブームのきっかけはストレス対策

1979年、マサチューセッツ大学医学大学院ジョン・カバット・ジン教授は慢性疾患を治療するために、マインドフルネスストレス軽減法のプログラムを開発しました。
彼は1966年から禅・ヨガを実践して以来、心と体の相互関係に注目して研究し、慢性的な痛みやストレス関係の病気を持った人々のために瞑想法をアレンジして現場に応用し、その効果を実証したのです。

 

SANDはNondualityに関するカンファレンスでしたが、マインドフルネスに関するカンファレンスの最も大規模なものとして、Wisdom 2.0というものがあります。

Wisdom 2.0とは?

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  • 2009年から開催されている、テクノロジーマインドフルネスに関する世界最大規模のカンファレンス。
  • 登壇者には、Google、Facebook、LinkedIn、スターバックスといった企業のCEOや組織開発、人材開発の責任者から、科学者、医師、国会議員、ソーシャルイノベーター、僧侶、アーティストなど、幅広い著名人が参加。
  • 毎年、世界30カ国から3000人を超える参加者がサンフランシスコ、ニューヨーク、またアメリカのみならず、ヨーロッパ、シンガポールに結集。
  • ニューヨーク・タイムズ、ハフィントン・ポスト、フィナンシャル・タイムズ、フォーブス等、各著名紙に掲載される。

偶然かもしれませんが、SANDも第1回の開催は2009年
リーマンショック2008年であったことを鑑みると、面白い一致ですよね。

 

SANDはScience&Nondualityですが、Wisdom 2.0が掲げるのはTechnology & Humanity。
科学技術が円熟期を迎えた今、次のパラダイムを、どのコミュニティも模索しているのを感じます。

 

SANDで意外と多かったテーマ:トラウマからの脱却

さて、マインドフルネスの簡単な解説を終えたところで、SANDの話題に戻します。
5日間のSANDのプログラムを見ていて意外だったのが、トラウマの解消法に関するテーマが多かったこと。

 

【プログラム例(邦訳は北川による)】

・Break the Cycle of Inherited Family Trauma
(家族トラウマの継承サイクルを壊すには)
・Collective Trauma:the Hidden Obstacle to Our Evolution
(集団トラウマ:私たちの進化の隠れた障害)
・Healing Trauma as a Spiritual Path:Individual and Collective Dimensions
(精神的な道としてトラウマを癒す:個人的な面、そして集団的な面)
・Fully Human:Nondual Psychotherapy as a Path to Wholeness
(完全なる人間:全体性へ至る路としての非二元的精神療法)
・Friends With Your Mind, How To Stop Torturing Yourself With Your Thoughts
(あなたの心の友:あなたの思考があなた自身を苦しめることを止める方法)

 

この意外性は、日本とアメリカの文化背景の違いの影響も大きいでしょう。

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日本で精神療法や心理療法にかかるというと、“病んだ人”、“心の弱い人”とネガティブなイメージがありますが、アメリカでは非常にポピュラーで、誰もが気軽に受けるものです。
健康保険も適用されますしね。
経営者など、責任の大きいポジションにある方なんかは、自己管理の意味でカウンセリングやセラピーを活用される方も多いと聞きます。

 

そもそも、精神医学や心理学自体、欧米発祥です。
トラウマという単語も外来語ですしね。

 

良い悪いという話ではなく、日本と違ってオープンに、むしろ誰もが向き合うべきテーマとして、積極的に議論されているのを感じました。

 

ちなみに、還元主義から全体性(ホーリズム)へ、二元性から非二元性へという流れはこの分野にも起こっています。

古典的な精神分析、認知行動療法といった手法から発展して、

  • トランスパーソナル心理学
  • ゲシュタルト・セラピー

といった、新しい手法が開発されています。

 

Freedom from Suffering(苦しみからの解放)

さて、Nondualityもマインドフルネスも、発祥はインド哲学・仏教です。
その文脈でトラウマを言い換えれば、カルマ(業)とでも言えばいいでしょうか。

 

要するに、現世の苦しみ・ストレスから自由になりたい!というニーズが人々を解脱の道、悟りの道、Nondualityの追求、マインドフルネスブームに駆り立てる訳です。
紀元前だろうが2000年前だろうが、現代だろうが変わらない、人類普遍のテーマですね。

 

何かを変化させたい、変えたいという時には2つの鍵が必要になります。
何だか分かりますか?

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それは、

  • 正確な問題の診断
  • 問題に対する処方箋・手段

の2つです。

 

Nondualtiyとマインドフルネスの罠

さて、今回の本題であるNondualityとマインドフルネスの関係についてです。

 

ちと本題からズレますが、マインドフルネスの流行を受けて、日本でも禅を見直す動きが出てきていますね。
スティーブ・ジョブズなんかは日本の禅を通して瞑想を取り入れていたそうな。

 

そこでも出てくる質問なのですが、Nondualityとマインドフルネス、禅とマインドフルネスの違いとは何なのでしょうか?


それは、先ほど出した2つの鍵の違いです。


つまり、本筋のインド哲学・仏教・禅で説いているのは

  • 苦しみを生み出している問題:人間の分別知=二元的なものの観方
  • 二元的なものの観方を克服する手段:瞑想

そして、二元的なものの観方を克服した結果として至る境地・ゴールがNonduality=非二元性な訳です。


マインドフルネスという瞑想メソッドによって不安な気持ちが解消されたり、良い気分になれたり、身体が健康になったりするというのは、とても良いことだと思います。
効果が科学的に証明されることも、多くの人が興味を持ち、実践してみようというきっかけになるので、悪いことではないでしょう。

 

ただ、効果があるからやろうというのは「利益」を目的とする行為です。
痩せたいから、リフレッシュしたいからランニングしよう、というのと同列ですね。

 

目的がズレて、手段だけが形骸化して残った場合、大抵ロクなことになりません笑

 

紀元前、「俺こんな苦行にも耐えれたぜ!」合戦を繰り広げていた修行僧たちを見て、釈迦が「むしろ苦行が悟りの妨げになっとるやん!目的ズレとる!!」と苦行ブームにストップをかけた(いわゆる『中道』というやつです)のも、同様の事象なのではないでしょうか。

 

もちろん、マインドフルネスも元を辿れば、しっかり目的をもっていたはず。
ですが、瞑想というメソッドだけが大衆化され、ムーブメント化されてしまった今のマインドフルネスには、批判の声も上がってきています。

 

チャディ・メン・タン:私の飛行機から羽を切り取らないで

そういったマインドフルネスへの警鐘を鳴らすものとして、私の印象に強く残っているのが、2018年2月にサンフランシスコで開催されたWisdom 2.0に登壇したチャディ・メン・タンのスピーチです。

 

チャディ・メン・タンはグーグルにマインドフルネスを広めた人物として、マインドフルネス界では知らぬ人はいない超有名人。

 

彼が3日に渡るカンファレンスのトリとして最終日に行ったスピーチのタイトルが、
“Don’t Cut the Wings Off My Airplane: Preserving Depth of Dharma in the Mindfulness Movement“
(「私の飛行機から羽を切り取らないで:マインドフルネス・ムーブメントの中でダルマ(法)の奥深さを守るために」)
です。

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(チャディ・メン・タンのスピーチ動画はこちら)

http://www.wisdom2summit.com/Videos/myriad_single_element/3282

 

昔むかし、とある1台の飛行機がある街にタイムスリップしたとしましょう。
街の人々は、突然現れた奇妙な鉄の塊を見て、どうするでしょうか?

 

最初、街の人々はこれをどう扱ったらよいのかに困ったに違いありません。
次第に、誰かが、これが運転できるものであることに気付くでしょう。
そして、こう言うのです。
「皆!これはバスとして使えるぞ!!」

 

その街の人々は、非常に賢い人たちの集まりでした。
なんと、その鉄のサイドから伸びている良く分からない羽のような部分を切断してしまえば、狭いところにも入り込める、便利なバスとして使えることに気付いたのです!!

 

…街の人々の生活は、確実に改善されたでしょう。
今までバスが無かったところから、バスのあるライフスタイルに変化したのです。

 

しかし、未来の世代にとっては?
街の人々は、飛行機から「空を飛ぶ」という可能性を奪ってしまったのです…

 


彼の話を要約すると、こんな感じです。

ヨガを単なるストレッチとして見なしてしまったとき。
マインドフルネスをただのストレス軽減法として見なしてしまったとき。
我々は何か大事な将来の可能性を失うかもしれません。

 

 

 

さて、今回も長くなりましたが、マインドフルネスとの関連付けをメインにNondualityを深めてみました!
次回はSAND開催レポートの最終回として、最先端科学とNondualityについて書きたいと思います!

【開催レポート①】 Science and Nonduality:AI時代 × スピリチュアリティーが生み出す人間の未来

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こんにちは!
野生の人文学家、チャーリー北川です。


私は普段、認識技術/nTechというものを土台にした教育事業を北米に展開する仕事に携わっています。
その一貫で、一緒に仕事をしているメンバーが、先月の10月24日~28日の5日間に渡り、アメリカ西海岸・サンノゼにて開催されたScience and Nonduality(略してSAND)というカンファレンスに行ってまいりました!

 

実はこのSAND、世界最先端のキワのキワを突っ走っているカンファレンスなのです。
もう、取り扱われているテーマが面白いったら!!
私は今回お留守番組だったのですが(>_<)、来年は絶対行きたい!!!

 

そこに参加してきたメンバーたちを中心に、先週の11/8(木)、SANDのことを日本の皆さんにもお伝えする報告会を開催しました。

(当日の写真)

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その時の内容を中心に、現地で参加してきたメンバーから聞いたことや私の考察も含めて開催レポートを書いてみたいと思います。

 

現場の様子が知りたい方は、是非次回開催のSAND報告会へどうぞ!
近日中に第2回の開催が決まるはず…

 

SANDとは?

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  • AIや量子力学などの最先端の科学(Science)と、仏教の悟りや老子の道など紀元前から東洋で追求されてきた「非二元性(Nonduality)」の融合を通して、人間の精神性の新しいパラダイムシフトを目指すムーブメント。
  • 2009年に第1回開催。以降、毎年規模を拡大し続ける。2018年はアメリカだけでなく、イタリアでも開催。
  • カンファレンス、メディア、オンラインコミュニティ、ローカルコミュニティなど多様な対話の場を提供。

【SAND公式サイトからの引用】
Science and Nonduality (SAND) brings together preeminent scientists, philosophers, spiritual teachers, and mystics for an exploration of the new paradigm emerging in spirituality that is grounded in cutting-edge science and consistent with the ancient wisdom of nonduality -- the deep understanding of the interconnectedness of life.

 

最先端の科学といにしえの非二元性の智慧。
一見、正反対ですよね。

ただ、日本にいるとイマイチ実感がありませんが、今世界的に東洋哲学の根底にある「非二元性」「無の思想」というものに注目が集まっています

www.yaseinojinbun.com


そこには、近代(モダン)の限界、ポストモダンの挫折、果てなく膨張しつづけるテクノロジー、といった諸々があるのですが…

その辺りは後ほど詳しく書くとして、どんな人が登壇するのか、見てみましょう。

 

どんな人が登壇するの?

〇ディーパック・チョプラ (Dr.Deepak Chopra)

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医学博士。心と体の医学およびウェルビーイング分野における世界的な第一人者で、75冊を超える著書の多くがベストセラーで35ヶ国に翻訳され、発行部数は2000万部を超えている。

内分泌科専攻、米国内科医師会フェロー(特別研究員)、米国内分泌科医協会メンバー、ケロッグ経営大学院の非常勤講師。コロンビア大学・経営大学院の著名な経営学者で、ギャラップ社上席研究員でもある。

ハーバード大学医学大学院主催の内科最新情報を学ぶ年中行事で10年以上講師を務めている。

 

〇ダニエル・シーゲル(Daniel Siegel)

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カリフォルニア大学ロサンゼルス校医科大精神科臨床教授。

UCLAマインドフル・アウェアネス研究所取締役、マインドサイト研究所専務取締役も務める。ハーバード大学医学大学院卒業。

脳科学と心理学を応用した精神療法を提唱。数々のベストセラー書籍を執筆。

日本では児童心理セラピストとして、『しあわせ育児の脳科学』(早川書房)、『脳をみる心、心をみる脳』(星和書店)、『子どもの脳を伸ばす「しつけ」』(大和書房)など、育児と子どもの発達に関する多数の著書が邦訳されている。

 

〇フリッチョフ・カプラ(Fritjof Capra)

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オーストリア出身のアメリカの物理学者、システム理論家。

現代物理学と東洋思想との類似性を指摘した1975年に書いた『タオ自然学』("The Tao of Physics")が世界的ベストセラーとなった。

カリフォルニア大学バークレー校のベアーズ(Beahrs)環境リーダシップ・プログラムの教授。シューマッハー・カレッジの客員教授。

 

〇ジーン・ヒューストン(Jean Houston)

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作家、哲学者、Human Capacities研究者。

1960年代のアメリカ合衆国、それも主として心理学分野において生じた人間性回復運動、または、ヒューマン・ポテンシャル運動の立役者として著名。

人間性回復運動とは、「幸福」「創造性」「自己実現」の主体である人間の「人間性」や「人間の潜在能力」を、回復・発展させることを旨とするムーブメント。

 

〇フェデリコ・ファジン(Federico Faggin)

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イタリア生まれの物理学者にして電気工学者。

世界初のマイクロプロセッサの設計に関わり、Intel 4004 の開発プロジェクトとマーケティングを成功に導いたことで知られている。

インテルの初期の5年間、マイクロプロセッサ設計の中心的人物として働いた。

その後の5年間、世界初のマイクロプロセッサ専業メーカーであるザイログを創立し、CEO として同社を先導した。

 

その他にも、数学者や生物学者、セラピストやカウンセラー、ヨガやマインドフルネス講師、社会運動家にミュージシャン、パフォーマ、僧侶、牧師など、あらゆるジャンルのパイオニアたちが集まります。

登壇者の数は、なんと140人以上!

f:id:charliekit:20181125180052j:plainそれだけの人が、このテーマに関心を持って真摯に議論している、ということですね。

 

 

なんでSANDが始まったの?

ここで、ちょっとSANDの設立背景を説明したいと思います。

 

今年10周年を迎えたSAND。

いきなり降って湧いたわけではなく、SANDが始まったのにも、それが途切れずこれだけ大きなカンファレンスに成長するのにも、背景のニーズ・理由があります。

 

そこを見ていくと、大きな時代の流れがボンヤリと見えてくるはず。

あくまでも私の考察ですので、他の見方も、もちろんあると思います!

このテーマで5日間くらいディスカッションできそうですね(^^)

 

さて、SAND公式サイトのPurpose and perspective(目的と展望)から引用すると、この通り。

Mission - Science and Nonduality Science and Nonduality

With the Scientific Revolution, empirical discoveries began to undermine religious doctrine, and tension grew between those who sought truth through rational inquiry based on observation and those who accepted the authority of various religious dogmas.

While the liberation of science from religion resulted in tremendous technological advances, it also led to the fragmentation of knowledge and to a science no longer engaged with the big questions of what it means to be human, to be conscious, and to seek meaning and purpose.

科学革命と共に、実験による発見が宗教的な教義を崩し、観察による合理的な研究によって探求された真実と、様々な宗教的ドグマの権威により受け入れられていた真実の間の緊張が高まった。

科学は宗教から私たちを解放し、テクノロジーの素晴らしい発展に寄与したが、一方で知識をバラバラに断片化することにも繋がった。科学はもはや人間であることの意味、意識をもっていることの意味、意味や目的の探求といった大きな疑問との繋がりを断ってしまった。

(邦訳は北川による)

 

Scientists, after having successfully used analytic reductionism (“taking things apart”) as a powerful tool for centuries, are now converging with the nondual view, seeing the whole as more than just the sum of its parts.

科学者たちは何世紀もの間、分析的な還元主義(物事を分けること)を強力なツールとして用いることに成功してきたが、今は非二元性という見方、全体性を単なる部分の総和以上のものとして見る見方に向かっている。

(邦訳は北川による)

 

還元主義⇔全体論、分析⇔統合

「還元主義」という言葉が出てきましたが、皆さん、この単語をご存知でしょうか?ちなみに、私は今回の報告会をきっかけに調べて、初めてちゃんと理解しました笑

「還元主義」は日本語より、英語からアプローチする方が分かりやすいかもしれません。

 

Reductionism(還元主義)

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ある現象を説明しようとするとき、扱いやすい細かい要素に分解して理解した上で、分解したものを足し合わせて全体を説明しようという、伝統的な科学的思考の立場。

Reduceという単語は「減らす、縮小する」という意味があって、なにもかもを単純な原理と単位にしてしまう、概念や法則の多様性を減らすという意味で理解することができる。

例)リンゴ・ミカン・バナナ→分子→原子→素粒子

 

もともとはデカルトが17世紀に書いた『方法序説』に端を発すると言われているそうですが、現在では、自然科学から数学から社会学から、いろいろな分野で少しずつ違う理論・ニュアンスで語られているので、かなりややこしい(‘ω’)

現在ではこの手法の難点を指摘する人も増えてきて、否定的に語られる文脈も多くなってきていますが、近代科学の発展に貢献した手法であることは間違いありません。

 

還元主義に相対する概念として、最近「Holism(ホーリズム・全体論)」というものが注目されています。

Holism(ホーリズム)

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ある系(システム)全体は、それの部分の算術的総和以上のものである、とする考えのこと。あるいは、全体を部分や要素に還元することはできない、とする立場。

複雑な現象を複雑なまま理解しようとする学問、手法は「複雑系の科学」などと呼ばれることが多いが、その源流に眼を向けると、アリストテレスの「全体とは、部分の総和以上のなにかである」といった言い回しにまで遡ることができる。

 

適用対象としては、蟻の巣、人間経済・社会、気象現象、神経系、細胞、人間を含む生物や現代的なエネルギーインフラや通信インフラなど、極めて身近な物が挙げられます。

 

深く突っ込んでいくとこれだけで論文がかけるので軽く触れるに留めておきますが、学術的な専門用語にとどまらず、今後日常の中でもカジュアルに使われる機会が増えてくると思います。 

例えば、「ホリスティック医学」

これは、部分部分の臓器を見るだけでなく臓器と臓器の関係や環境・心など、全体を視野に入れることを基本とするもので、1960年代に米国で提唱され始めたものだそうです。

ホリスティック医学の定義 | NPO法人 日本ホリスティック医学協会

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知識の断片化、タコツボ化、専門バカ、そして分断・対立へ

SANDが多様な分野・立場の登壇者たちが集めているのも、還元主義からホーリズムへというポリシーに基づいているからでしょう。

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物事を分けて、分析して世界を理解するという手法によって、西洋は世界のトップをひた走ってきました。

が、同時に分裂・対立という大きな問題も抱え込むことになりました。

  • 環境問題
  • 宗教紛争
  • 貧富の格差
  • 人種差別
  • LGBT問題

 

大層なお題目だけではなく、

  • 会社内の営業部と技術部の対立
  • 上司と部下の対立
  • 〇〇主義 VS 〇〇主義
  • 〇〇さん派 VS 〇〇さん派

などなど、分裂・対立の問題は身近ところにもたくさんありますよね。

 

「分ける」というのは世界を理解するとき非常に便利な方法ですが、分けたうちの片方に〇、もう片方に×をつけた瞬間、それが対立の境目、境界線を引くプロセスである、ということにも留意しておく必要があります。

 

アメリカの現代思想家、ケン・ウィルバーの言葉を借りれば、

「主体対客体、生対死、心対身体、理性対本能のように、われわれは自らの自覚を人工的に分割して区分をつくり、体験と体験、生と生が相争うような分裂をつくりだす。このような暴力がまねく結果は、さまざまなことばで語られるが、要するに不幸そのものである。」

『無境界 自己成長のセラピー論』(ケン・ウィルバー著、吉福伸逸訳:平河出版社)

 

一度引いてしまった境界線から自由になることは、なかなか難しい。

知ってしまったことを忘れろ、と言われても難しいのと同じです。

 

ここから解放されるにはどうしたらよいのだろうか??

そこで出てくるのが、東洋の智慧、「Nonduality(非二元性)」の智慧なのです。

 

Nondualityとは?

SANDの発起人、設立者であるZAYA(ザヤ:写真右女性)& MAURIZIO(マウリツィオ:写真左男性)の2人の出会いから始まりました。

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2人の共通点は、ニサルガダッタ・マハラジ著 『I Am That』の愛読者であった、ということ。

この本は日本でも邦訳出版されています。

 

〇ニサルガダッタ・マハラジ

不二一元論を説くインド・ヒンドゥー教のグル(師)。

1973年に出版された『I Am That』は

不二(非二)=Nonduality哲学に関する現代の一流書として、世界的に知名度が高い。

アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話

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  • 作者: スダカール・S・ディクシット,モーリス・フリードマン,福間巌
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Dualというのは「2、2の」という意味。

ですから、Nondualは「2ではない」という意味になります。

 

不二一元論の源流は紀元前、インド・ウパニシャッド哲学の「梵我一如」から。

(梵:世界と我:私は分かれている者ではなく、ひとつであるという哲学)

 

それを思想として徹底させた「不二一元論」が8世紀頃生まれ、この説に則る哲学や学派をアドヴァイタ・ヴェーダーンタと呼ぶようになりました。

マハラジ氏はこの流れの方になります。

 

ちなみに、この「I am that」が出版されたのは1970年代ですが、当時の欧米で大ヒット!

1970年代といえば、ベトナム戦争とカウンターカルチャの隆盛期ですね。

それまでのアメリカにとって常識であった物質主義、権威主義、個人主義に対して疑問が投げかけられるようになった時期です。

そして、ザヤとマウリツィオの2人が出会った2008年当時のアメリカはサブプライムローン問題、リーマンショック問題の真っただ中。

 

こうして見ると、SANDが西洋の限界からの脱却、次のパラダイムを探るムーブメントとして始まり、今も拡大し続けている理由が見えてきます。

 

さて、長くなりましたので、開催レポート①はこの辺りに。

次回、開催レポート②では、Nondualityをもう少し深掘りするのと、アメリカの最新動向としてもうひとつ大きな流れになっている「マインドフルネス」との関連についてレポートしたいと思います!

「やる気が出ない」のにはワケがある! 頑張りすぎてしまう人がおちいりやすい、無気力状態の罠

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こんにちは!
野生の人文学家、チャーリー北川です。

今日は「やる気」について。


みなさん、こんな状態におちいった経験、ありませんか?

  • 平日仕事で頑張った分、休日は何もやる気が出来なくなってしまう
  • 「早めにやった方が良い」と思いつつ、後回しにして締切ギリギリになってしまう。
  • 資格を取れば将来役に立つと分かっているのに、試験勉強が手につかない。
  • 先のことをいろいろ考えているけど、今頑張る気力が湧いてこない。
  • あの人と良い関係性を築きたいと望んでるのに、声をかけようと思うと止まってしまう。
  • 朝、職場に行かなきゃと焦るけど、頭が重くなり身体が動かなくなってしまう。
  • モチベーションにムラがあり、安定しない

 

理想は…

これができたら良いのにな、あれが出来たらもっと上手くいくのになと理想はたくさん出てくるのに、いざ実行に移そうと思うと、なかなか一歩が踏み出せない。
頑張って実行してみても、ふとしたことで気持ちが切れ、今度は大きく落ち込んでしまう。
仕舞いには無意味に日々を消耗してしまい、やる気のない自分が情けなく思えてる…

 

私は認識コンサルタントとして様々な方の悩みをお聞きする機会がありますが、どうやら前に挙げたように、自分の意思に反して「気力が湧かない」「やる気がでない」という自分をどうにか変えたいと思ってらっしゃる方が多いようです。

 

また、ひどくなると無気力状態から脱することができずに「うつ病」等の診断を受け、休職せざるを得なくなっている会社員の方の切実な声を聞くことも多々あります。

 

やる気が持続しない原因は?

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みなさん、それぞれに

  • なまけ癖があるから
  • 意志が弱いから
  • つい先送りにしてしまう性格のせいで
  • 根性が無いから
  • メンタルが弱いから

など、やる気が出ない・動けない理由を分析されています。
大半のケースでは、みなさん自分が悪いからこうなっていると考えてらっしゃいますね。

 

ご自分に当てはまらなくても、周りでやる気を失い、動けなくなっている人の原因をこのように考え、相手を責めてしまった経験はありませんか?

 

自己啓発本を読んで、マインドセットをポジティブに変えれば良いんじゃないかと努力されている方もいます。
ですが、短期的にはモチベーションを上げられても、ちょっとしたミスをきっかけにむしろ「リバウンド」して悪化させてしまうケースもあります。

 

一念発起して「目標計画書」を作成しても、ひとつも実行できずに「意思が弱い」と自分を責めるようになり、ますます自信を無くしてしまったという経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。

 

自分を責めることのデメリット

なぜ、こんなに自分の意思を継続させることが難しいのでしょうか?
果たして、そんなにあなたはダメな人間なのでしょうか?

 

まずお伝えしたいのは、みなさんが考えている「やる気の出ない」原因こそが、みなさんの「やる気」を阻害しているかもしれない、ということです。

 

これから詳しく説明しますが、「やる気が出ない」現象にはメカニズムがあり、あなた自身の人間性の問題ではない、ということです。

 

“We recognize that nothing is wrong with us but that something wrong happened to us.”
Donna Hicks. 『Dignity: The Essential Role It Plays in Resolving Conflict.』
Yale University Press.

 

重要なことは、自分を責めたり、自分に×をしたりすることではなく、メカニズム・仕組み・構造で客観的に原因を捉えることです。

 

アクセルとブレーキのメカニズム

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「やる気がでない」という状態は、例えるとしたらみなさんの心の中で、

やりたい!というアクセルとやりたくない!というブレーキを同時に踏んでいるような状態

です。


外から見れば何も進んでいないのですが、心の中ではアクセルとブレーキの壮絶な引っ張り合いが起こっているので、本人すらも気付かぬうちに心は摩耗しているのです。

 

この摩耗によって、その人自身がすり減ってしまい、生活に支障をきたし、思わぬ健康被害をこうむることさえあります。
しかも、その原因は本人が普段意識しないところに隠れていることが多いため、自分ではそのアクセルとブレーキの矛盾に気付けないことがほとんど。


矛盾がどこで、どんなメカニズムで起きているのか見つけられれば、修正できます。
気付くだけで、ご自身や現状の捉え方が変わり、スムーズに変化でき、本来の自分を取り戻すことができます。

 

理想が枷になる??

意外かもしれませんが、理想を思い描けば思い描くほど、人は動けなくなってしまう羽目になります。


「こうしたほうが良い」と自分が思っている行動が取れず、反動で「自分は何てダメな人間なんだ」と自責の念に捉われる人ほど、動けなくなりやすいのです。

 

例えば、パーティーの場で「社交的になるため、全員に頑張って話しかけよう!」と目標を掲げたとします。
ところが、いざその場に臨んでみると、皆に軽くあしらわれてしまうんじゃないかと不安になって、なかなか足が踏み出せない。
そして、結局は隅の方で寂しく突っ立っているだけ。

 

その時に何故足を踏み出せなかったのかというと、失敗して傷つくことを恐れたからです。
「~すれば絶対に~して成功するはずだ」と強く思い込んでいるのですが、同時にそれが失敗したときのダメージも創り出しているのです。


本来、その成功・失敗のジャッジの基準すら、自分で創り上げたもののはずなのに…

 

「こうなるはずだ」という強い絶対的な自信もあるが、同時に強い不安も持っている。
これがアクセル・ブレーキの綱引きのメカニズムです。

 

実は、人から見捨てられるかもしれないという不安を持っている人ほど、「自分の力でなんとかしなければ!」との思いが強くなり、アクセルとブレーキの相反が激しくなる傾向があります。

 

もともと、全ての物事の価値観は相対的なもの。
光があるから陰があるし、悪役がいないと正義の味方にはなれません。
同じことで、ポジティブなイメージを持てば持つほど、逆にネガティブなイメージも膨らむのです。

 

「恒常性」というヒトの性質を理解しよう!

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そして、ヒトには「恒常性」という性質があり、片方の基準に偏った場合、それと同じくらい反対の側に振れることで、ちょうど中間に引き戻そうという力が働きます。
「やじろべえ」みたいなもので、右側に傾いたら、次は左側に傾くことで、バランスを保とうとするのです。

 

では、どうしたら良いのか?
強い理想で不自然なアップダウンを生んでしまっている人は、

起きている事象を批判的にジャッジせず、

とにかく自分の感じていることをそのまま受け取ってみてください。

 

成功も失敗も、アクセルもブレーキも、創り出したのはあなた自身。
その基準が本当に絶対なのか?落ち着いて振り返ってみてください。

 

このアクセル&ブレーキの基準が形成されるのは、0歳~12歳の間だと言われています。
幼少期のショックな出来事(多くは不安・恐れといった体験)をきっかけに、なんとかその失敗を回避するための道具として、「~したら~なるはずだ」という成功基準を作るのです。

 

この成功基準というのがやっかいなもので、一度手にすると、なかなか手を離すことができません。
この基準で理想に近づこうと努力すればするほど、その裏側にある不安や恐れといったブレーキも強まり、ドツボにはまっていきます。

 

 

これらの基準から自由になると、どうなるのでしょうか?
なんの基準も持たず、ただ無為に時間を浪費するのでしょうか?

 

いいえ。
旧い基準を手放すことで、恣意的な判断を交えない、純粋な今ここの現象を観察できるようになります。
過ぎ去った過去のトラウマにも、空想上の未来の不安にも邪魔されず、目のまえのことに集中できる。


是非、マルッとご自分を受け入れてみてください。

本稿が、本来の自分の能力を100%発揮し、行きたい方向性へと自在に舵を切るためのヒントになれば幸いです。

 

 

【ジャッジから自由になって、自分をそのままマルっと受け止めるには?】
ご興味ある方は、こちらのセミナーもオススメです

ptix.at

「常識を疑う」ための教養

こんばんは!お久しぶりです!

野生の人文学家、チャーリー北川です。

 

最近みた書籍レビューサイトの記事で、共感するポイントがあったのでシェアします

honz.jp

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外にでたくて

もともと私は「常識」の外に出たくて学問を求め、色々で合あう中で、今活動の中心にしているnTech、認識技術に出会いました。

 

父の仕事で国内外を転々としながら、地域・国によって観点が違うことを実感し、偏差値によって同級生たちの観点が違うことを実感し、とにかく観点の違いを実感し続けた小学校~中学校時代。

「自分は絶対に固定した考えで人をジャッジしないぞ!」という信念で世間の判断基準を疑ってきた人生でした。

 

観点を広げるには?2つの大事な軸

固定した観点の外にでるには、他地域に行く・海外に行くなど、地理的に空間を広げて観点固定から出るのも有効ですが、歴史的な時間を広げて「今の時代に常識化している観点固定」から出るのも非常に有効です。

【以下、紹介記事からの引用】
”イノベーションを起こすには、教養を身につけるしかない。
教養を身につけることは「常識を疑える」観点を持つことでもあるからだ。
地理的な空間、歴史的な時間の広がりを持った人は、目の前の状況を理解し問題を見定めることができる。”

 


私たちが無意識に立っている、誰かによってつくられた判断基準の土台。
その土台の出発点を発見したとき、つまり「お前が言い出しっぺか!!」を発見したときのスッキリ感は、癖になりますよ~

ただ暗記として哲学や歴史をやるのではなく、自分の観点に時間的な広がりを持つことで、イノベーティブになる、そんな「野生の人文学」にしていきたいな~と思います♪

人生振返録①チャーリー北川、8歳にして人文学・人類学と出会う

こんばんは!
野生の人文学家、チャーリー北川です。

今日は、これまでと趣向を変えて、自分の人生を振り返ってみたいと思います。

ちょっと色々と自分の原点的なものを探ってみようと思いまして。



さて、自分のルーツ的なものを探して人生を振り返ったとき、まず最初に浮かんでくる、1冊の本があります。
上橋菜緒子著『精霊の守り人』

当時小学2年生、8歳だった私の世界の観方・価値観を衝撃的に揺さぶった本です。

精霊の守り人 (新潮文庫)

精霊の守り人 (新潮文庫)

 

 

私は小さい頃から本を読むのが好きで、両親も「本を読むのは良いことだ」と、たくさん本を買ってくれました。

学校の学級文庫でも、図書館でも、たくさんたくさん読みました。

 

何百冊と呼んできた本の中で、なぜこの1冊が私の中で不動の1位をキープし続けるのか?

いい加減、筋書きもセリフも暗記しているのに、大人になった今も年に1回はふと読み返したくなるのか?
理由を探っていきたいと思います!!

 

 

粗筋(本のオビから引用)
”女ながら、腕のたつ用心棒であるバルサは、偶然、新ヨゴ皇国の皇子チャグムの命をすくう。だが、このチャグム皇子は不思議な運命を背負わされた<精霊の守り人>だった。

深い水底に住み、百年に一度、卵を産む精霊<水の守り手>とは何か。
そして夏至祭に隠された秘密とは?

チャグム皇子を追って、ふたつの影が動き始める。”

 

外の世界と出会う・自分の物差しの外と出会う

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物語の主人公、チャグムは皇国の第2皇子。生まれたときから皇子として宮殿の中で何不自由なく、起きて着替えて食べて体を洗うに至るまで、全て他人にお世話され傅かれながら日々を過ごしていました。
それが一変、異端の精霊の卵を宿したことで、皇国の神聖さを汚すものとして実の父親「帝」から命を狙われ、母の手引きで用心棒バルサとともに宮廷の外に出ることになります。

 

  • スラム街の物乞いの家に匿われ、経済格差・生活水準の格差にびっくりしたり。
  • 自分が唯一と思っていた祖国の神話・教義が絶対ではないことに衝撃を受けたり。
  • 政治に関わる多種多様な人たちの立場・主張や政治の裏側に戸惑ったり

 

真綿につつまれた雲上人の人生から、地の底をはいつくばって追手から逃げる逃亡人生へ。

でも、その逃亡生活の中で出会うもの全てが、チャグムのそれまでの価値観を叩き壊して視野を広げていきます。
家族と学校と、せいぜい近所の遊び場が世界の全てだった8歳だった私にとっても、チャグムの衝撃は自分ごとのように感じました。

 

様々な国が、それぞれに祖国の神話を持って、その教えで世の中を見ている。
ある意味、私の最初のグローバル・インターナショナルな感覚はこの本が出発だったのかもしれません笑

 

同時に、自分の物差しが如何に狭いものなのか、それで人を計ることが如何に愚かなことなのかを戒める原点でもあります。

 

運命・上部構造の支配・個の自由意志

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物語のダブル主人公、チャグムとバルサには共通点があります。
それは、どちらも国の超エリート上流の家に生まれながら、国の陰謀権謀に巻き込まれて命を狙われ、余儀なく逃亡人生に転落したこと。
チャグムに至っては、あずかり知らぬところで「精霊の守り人」なんて運命を背負わされて翻弄されます。

 

何故自分だけがこんな理不尽な目に合わなければならないのか?抑えきれない怒りをチャグムがバルサにぶつけるシーン。
私にとっては今でも、はっとするワンシーン、息を呑んで厳かな気持ちでみるワンシーンです。

 

実は、私にもチャグムが持ってるような心の底の怒り、自分を決めつけてくる上部構造に対する反骨心があります。
プロジェクトの仲間たちはそんな私を「スパルタカス(※共和政ローマ期の剣闘士で、「スパルタクスの反乱」と称される第三次奴隷戦争の指導者)」なんて呼んだりするんですが笑


「…刃を研げば、切れ味はよくなる。確実にね。こんなふうに、すべての物事の結果のつじつまが合えば、いいんだけどね。」
「不幸がいくら、幸福がいくらあった。あのときどえらい借金をおれにしちまった。…そんなふうに考えるのはやめようぜ。金勘定するように、過ぎてきた日々を勘定したらむなしいだけだ。おれは、おまえとこうして暮らしてるのが、きらいじゃない。それだけなんだ。」


チャーリー・スパルタカス・北川がnTech・認識技術と出会って気付いたことがひとつ、
結局自分を決めつけていた最上部のラスボスは、実は自らの観点である
ということ。

 

過去の出来事に捉われ、恨みつらみで目のまえの壁から逃げて生きるのか、大自由の心で自分の運命・宿命・使命を見つめ、壁を突破していくのか。

物語の最後、卵を守り切って逃亡人生を終えた後、皇太子としての役割に自らの意思決定で戻っていくチャグムの決断のシーンを読むたび、自分自身にも問いかけが来ます。

 

人文学・人類学との出会い

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多分、人は皆、生まれたら自分の意志なんか関係なく、人間というゲームのフィールドに放り込まれて産声を上げるんです。
どんなゲームなのかは生まれた時代や場所によって異なりますが、意味も分からず課せられるルールに対する反発心を時に爆発させたり、抑えたり、諦めながら生きている。
だけど、一度ゲームの外に出て、なぜそのようなゲームが出来上がったのかを理解すれば、先人たちの涙も感じられるし、過去の文脈も活かしつつ新しい未来を創るゲームの再設計もできるようになる。

 

実は、この本の著者は文化人類学者。

いつも書かれているのは児童文学のカテゴリーなんですが、どの作品も問いが深く、読む人の年齢を問いません。

おまけに、ファンタジーと言いつつ政治権力的な駆け引きや、緊張感あふれるお金勘定の損得も描かれています。
この本との出会いは、単なる児童文学やファンタジーとの出会いではなくて、社会とは?人間とは?人類とは?という問いとの出会いでもあったんでしょう。
そして、人文学、人類学を学ぶということは、今自分たちがどんなゲームの中にいて、それがどんな文脈の中で出来上がってきたのかを学ぶ学問でもあるな~と思います。

 

いや~、それにしても、多感な時期、自我が育ち切っていない8歳という年齢でこの本に出会ったのはデカいですね笑 

今分析すれば色々こうだった、ああだったと言えますが、初めて読んだときはとにかく言葉にならない衝撃でした笑

ただ、その時の衝撃が、今の自分の一つ大きな原点であることは間違いないです。

 

 


さて、人生振返録①はこの辺りにしておきます。

次回は「人生振返録②チャーリー北川、10歳にして日本人アイデンティティを問われる」です。
需要があるかは分からんけど、書いてる本人が楽しいのでしばらくシリーズは続きます!!

空前の東洋哲学ブーム!当の本人たちは気付かぬまま!?

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こんにちは!
野生の人文学家、チャーリー北川です。

 

実は今、世界は空前の東洋哲学ブームの真っただ中あるのをご存知でしょうか?

例えば、マインドフルネス。

アメリカを始め世界各国でブームになってますが、もともとの由来は禅です。


めちゃめちゃ波が来ているのに、当の東洋サイドが気付いてない!というのが、最近私がもどかしさを感じるポイント。
西洋の科学技術・テクノロジーの行き詰まりを世界中の人たちが感じ始め、東洋がこれを補って次のパラダイムを示す鍵になることを期待されている。
自分たちの持っているものがめちゃめちゃ売れるチャンス来たのに、当本人は知らぬまま…的な。

 

まあ、西洋に追い付け追い越せの時代の波の中で、古来の智慧を失ってしまったというのが正直なところだと思いますけどね。
だからこそ、今一度東洋思想の本質を掴むことには大きな意義があると思います。

 

東洋と西洋はお互いインスパイアしあってきた?


もともと東洋と西洋は、長い歴史の中で時に対立しながら、時に刺激し合いながら今日まできました。
西洋の十八番と思われている数学や物理学、IT技術も、本質的なコンセプトは東洋哲学からインスパイアされたものだということはご存知でしょうか?


0という概念の出発はインドですし、プログラミングでお馴染みの2進法もライプニッツが中国の陰陽思想から着想を得たもの、量子力学を研究したニールス・ボーアが晩年東洋思想に傾倒していたのも有名な話です。

 

東洋と西洋は明確に対立するわけではありません。
また、どこからが東洋でどこからが西洋であるという明確な境界線があるわけでもありません。


ただし、お互いの対立的な要素を通すことで色々なことが見えてくると思います。
また、西洋人が東洋のフレームワークを使っちゃいけない理由もないですし、東洋人が西洋のフレームワークを使っちゃいけない理由もありません。お互い対照的な性能・機能を持っているので、上手に双方使いこなしましょ~という話です。

 

 

東洋と西洋、それぞれの思想とは?

とりあえず共有するための導入として、ここではかなりざっくり、簡潔に書きますね。


西洋は人間を主体として出発し、そこから世界を分解して組み上げます。東洋は主客の別なく最初から全部を自然の相対として捉えるとこがあって、そこが対照的なところです。

 

東洋はトートロジーと矛盾の中で本質を言明していて、西洋から見ると、一見間違っているまたは何も言っていないように見えます。
逆に、東洋から見ると西洋ははじめから重要な大前提が欠落した、とても限定的なところでものごとを語っているように映ります。
本当は、両者は対立するものではなく、補完し合う仲なのですけどね~。

 

昔読んだ本で、東洋は幹を掴んでいるが枝葉に興味がなく、西洋は枝葉を掴んでいるが幹に行きつけない、的な表現があって、妙に納得したのを覚えています。

 


知の不完全性、無知の知、そして…??

西洋哲学はアリストテレス以来、カテゴリー論、因果論、論理学といった中でものごとを精密に分けて、知識として保存して、それらを統合しようという一つの大きな流れがあります。
逆に、東洋はものごとをつい分けて考えようとする人間の思考を、いったん分けない場所まで戻そうとするものです。ものごとを分けない場所を「空」とか「道」とか「阿頼耶識」とかいう言葉で表したりします。

 

「頭でっかち」という言葉がありますが、人間は一度知ってしまったことがあると、知ったことをベースに他のものを解釈しようとしてしまいます。
世界を一旦解釈してしまうと、その解釈のパターンを保存し、その解釈の中でものごとを考え、やがて自分の解釈の枠の外には世界がないようにさえ思いこんでしまう。

 

世界を捉える網をどんどんアップグレードしていくのが知性の自由であるのに、逆に網に捉われ、閉じ込められて狭い見方に固定されてしまうのです。
だからこそソクラテスは無知の知を唱えたわけですが、そこから抜け出すのは非常に難しく、すべてを0ベースに戻すには強力なリセット機能が必要になる。

 

ただし、何でもかんでも東洋思想をぶち込めば良いというものでもありません。
そもそも東洋思想にも大きな欠点がありますからね。
禅でいう「不立文字」ですが、なんとなく答えは言ってるんだけどカチッと記述することができない曖昧さ。理解、解釈が大変難しい。

 

その昔、中世暗黒時代にギリシャ哲学を再復興したルネサンスのように、東洋哲学も現代に応用活用できる新しい形にデザインし直す必要があると思います。

多分、色々な人が東洋思想のリ・デザインにチャレンジ中だとは思うのですが、私は1つ明確に体系化された論理体系、教育体系を知っているので、ご紹介のリンクを貼っておきます。

special.nr-grp.net

 


西洋人に東洋思想の何たるかを教授されてしまう前に、自分たちで自分たちの思想哲学を、自分の言葉で語れる人間でありたいな、と思います。

『Dignity:尊厳』とは?世界大戦の先に人間が求めた共通土台

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こんばんは!

野生の人文学家、チャーリー北川です。

 

今日のテーマはずばり『Dignity:尊厳』。

[名・形動]とうとくおごそかなこと。気高く犯しがたいこと。また、そのさま。(デジタル大辞泉より)

 

私はnTech(認識技術)というのを使って個人の自己認識や人間関係のコンサル、組織コンサルをやっているのですが、この技術の一番土台となるコンセプトが『尊厳』なのです。

 

 

一般常識として誰もが知っている単語ですが、日常生活ではまず使わないですよね。

Googleで検索してみてまずヒットするのは「尊厳死」とかです。

 

ただ、漠然としているし馴染みは無いんだけど、茶化すことのできない、何か強力にうったえてくるものがある。

誰にでも訪れるビックイベント「死」の相方を張ってるくらいですから、半端な概念ではありません。

 

ちょっと専門的な話になるんですが、法律の観点でこの『Dignity:尊厳』を見ていくとなかなか面白い整理になったので、ちょっと私自身の学習もためにも書いていきたいと思います~。

 

尊厳—Dignityの語源

語源はラテン語のディグニタス(dignitas)に遡り、古代ローマ人たちが重要な地位にある人に対して、尊敬および名誉を表すために使っていたようです。
更に遡ると、ギリシャ語のデコマイ(δεχομαι)「喜んで受け取る」という単語から来ているそうな。ある人の、あるいは、人々の、尊敬、敬愛、好意、賞賛などを喜んで受け取るということです。

ですから、当時『Dignity:尊厳』に普遍的な意義はなかったみたい。

 

そこからキリスト教が広まり、荘厳さとか畏れ多さとか、特別の畏敬と持って神と結び付けられるようになります。

そして、キリスト教が最盛期を迎えたヨーロッパ中世では、「神は人々から尊敬を受け尊厳を持っておられるが、神は人間をご自分に似せて作られたため、人間も神に似て尊厳を有する」と考えられてきた。

なので、もともと「人間の尊厳」という観念はキリスト神学の中で受け継がれてきたそうな。

 

 

それが非キリスト教社会にも受け入れられるものとなるには、カントの哲学が一役買います。

カントは、科学と道徳の両立を図って、宗教の独自性を認め、科学的理性的な認識の範囲と限界を定めつつ、自由意志を持つ人間の人間性を肯定し、理性に従って道徳的な実践を行う自由で自律的な人格を持つ者としての人間の尊厳を説きました。

カントによって、「人間の尊厳」は伝統的なキリスト教の教義から離れて、近代的な哲学によってユニバーサルに再定義されたのです。

同時期にフランス革命も起こっていますし、王権神授説から人権宣言へ、普遍的な人間の権利についての革命がおこった時代ですね。

 

 

悲惨な大戦の果てに:1948年世界人権宣言

明確な転換点となったのが1948年の世界人権宣言です。

第1条「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」

尊厳が、生物学的または社会的条件にかかわらず、誰もが持つ本質的な特性として明文化された瞬間ですね。

これには背景があります。

 

ナチス政権によって諸々の非道徳的な惨劇が行われた後、1948年の世界人権宣言の起草者たちが草案を作成していたとき、彼らは異なる政治的、哲学的、宗教的観点から出発していました。

ばらばらなバックグラウンドを持つ彼らが、それでも他人に暴力をふるうことは他者の人間性を否定するばかりではなく、自分自身の人間性をも否定することになる、ということを人類共通の良心にうったえるものとして、『人間の尊厳』というユニバーサルなコンセプトが必要だったのです。

 

最近ではバイオテクノロジーの分野でも、人権法一般と生物医学領域の人権の考え方の違いに関連を生み出すため、このコンセプトが広く利用されるようになってます。

テクノロジーの進化によって人間の倫理道徳が問われるケースは今後ますます増えていきますから、『尊厳』の重要性もそれに比例していくだろうな~というのが私の見解です。

 

日本発の新たなグローバル・スタンダード『Dignity2.0』

さて、ここまでは、既存の『Dignity:尊厳』の整理。

私がやりたいのは、ここを更に次元上昇させたコンセプトなのです!

 

世界はこんなにも膨大な情報知識と最先端のテクノロジーに溢れているのに、なぜいまだに争いや戦争が起こるんだろうか?

何か決定的に欠けているものがあるのだろうか?

 

幼い頃から国内外を転々とし、様々な人や土地の考え方に触れながら「何故人間は争うのか?」という問いを持ち続けてきた私は、大学で法律と国際政治学を専攻しました。

しかし、法律は争いの根本原因を解決してくれるものではなかったのです。

 

こんな大きな問い、自分なんかには不相応だと諦めてサラリーマンコースを進みましたが、25歳の時の大病をきっかけに人生の進み方を問い直します。

色々試しチャレンジした結果、出会ったのが、『Dignity2.0時代』を提唱し、それを実現させる日本の可能性を熱く語るNoh Jesu氏であり、0=∞=1という概念を基に彼が体系化した技術、nTechでした。

 

細かい技術の内容をここでお伝えすることはできませんが、nTechに出会ったとき、幼い頃から持ち続けていた問いに対する明確な答えを自ら出すことができた。

 

 

今は、この技術を日本から世界に広げるべく、色々チャレンジ中です。

でも、やればやるほど確信が来るし面白い笑

 

同時に、こうやって理想を進化させて技術を生み出し変化を創っていく人間の力に、興味を惹かれずにはいられません。

人文学家を名乗る理由も、そこにあるんだろうな~。

私は本質的には好奇心を探求する学者気質なんでしょう笑

 

長くなりましたが、今日はこの辺りで!